短所が長所を生む [つぶやき]
私は資料の作成が得意です。
特に、プレゼン資料や提案書。
パワーポイントなんかを使って、図や絵を交えながら、
物事を分かりやすく伝える資料が得意。
これにはまずまず、自信があります。
設計書や仕様書も比較的得意ですね。
これらも、分かりやすさが肝心ですからね。
良い資料のポイントはとにかく「わかりやすさ」。
その資料だけポンと渡された時に、
何を言いたいかがすぐ伝わるか。
どこがポイントなのか瞬時に分かるか。
構成や見た目が、見やすく読みやすく整理されているか。
このあたりを押さえていると、
何の予備知識もない人にも、短い時間で物事がズバッと伝わる。
そういう資料が、私が思う良い資料。
実際、会社で仕事をしていても、
資料で困ったことがあるとよく声がかかる。
それなりに自負があるので認めてもらえるのは勿論嬉しいし、
そのたびに「やっぱりビーバーさん流石ですね!」
とか言っておだててもらえるので悪い気はしない。笑
うちの会社は資料が苦手な人が多いので、
私のような人は余計に重宝される。
そんな私のこの能力、
自然に身に着いたわけでは決してなく、
とある欠点のおかげで身に付いたものである。
それが、「記憶力の欠如」と「理解スピードの遅さ」。
私は昔から記憶力が弱小で、暗記科目も大の苦手だった。
大人になってもそれは変わらず、
仕事や生活をする上で大事なことでも、よく忘れてしまう。
「理解スピードの遅さ」に関しては、
例えば、映画のストーリー展開に着いていけない。
人との会話に着いていけない。
会議の内容が分からない。
セミナーに参加しても話のペースに着いていけない。
(技術職なので、たまにセミナーに出たりする。)
当然ながら、これらの欠点にはメリットなどなく、
仕事に支障も出るし、とにかく困る。
そこで私がどうしているかというと、
後で誰かに質問しておさらいし、
「話を理解しやすいように整理してまとめ直し」て、
「あとですぐに思い出せるように書き残しておく」のです。
これが、私の資料作りの原点であり、
欠点を補うために発達した能力。
この「あとですぐに分かるように」というのが最大のポイント。
皆さん経験あると思うが、
記憶や理解が新しいうちは、結構雑なメモでも記憶を引き出せる。
でも、記憶が薄れてきたときってそういうメモが役に立たなくて、
「このメモ何だっけ。(内容が思い出せない)」
となったりする。
この「雑なメモ」の何がいけないかというと、
内容を端折りすぎているんですね。
例えば「○○書の△△欄、◇◇書」と書かれただけのメモ。
後で見ると、「△△欄」をどうするのか分からない。
記入忘れがちだから気を付けて、なのか、
その欄に書く内容にはひと工夫必要だから注意、なのか。
だいたい「○○書の△△欄」って何だ。
それって重要なんだっけ?
あと、「◇◇書」って何?
こういう疑問を後で生まないように、
私はなるべく、理解したことを端折らずに、
整理して書きとめておく。
①○○書の△△欄は、・・・・・・っていう計算が必要だから注意。
②(計算方法を簡単に図解)
③ただ、こんな計算しなくても、◇◇書のココから簡単に算出できる。
④(算出方法を簡単に図示)
こんな感じの内容を、
今では短時間でパパッと書き残せるようになった。
だって必要だからさ、私が仕事をする上で。
あと、この話は「理解スピード」の話にもつながっていて、
話の展開が早い人というのは
(私の目から見たら早い人だらけなんだけど)
上記の例でいう所の①~③を高速ですっとばして、
いきなり④だけ語っているような印象だったりする。
私からすると、
「何で急にそんな話になったの!?なになに、何が起きているの!?」
(パニックで以降の話が入って来ない)
みたいな感じ。
なので、あとで質問をして①~③の部分が分かると、
ようやく話を理解できる。
せっかく理解できたので、①~③の部分もきちんとメモに残す。
こんな具合である。
こうやって取ったメモを見ると、よく
「丁寧なメモだねー!すごいけど、書くの時間かかりそう~」
などと言われるが、もう慣れたもんですよ。
もう一度言うけど、私にとっては必要な能力だから、
人より発達してるの。得意なのよ、もはや。
でね。
実はこの、①~④ を段階を追って、
見やすく、わかりやすく書き残すことこそが、
良い資料の書き方、そのものなんですね。
だから、私は資料が得意になったのです。
苦手や欠点って、よく「克服」って言葉と共に語られるけど、
すべてが克服できるわけではないと思う。
でも、別の手段で補うことができたりする。
その結果、
その「別の手段」が人より得意になって、
結果的にこうやって、長所になったりするんだよね。
だから、苦手や欠点は
必ずしも「克服」しなくてもいい。
でも、その代りにできることは何だろうか、
それを真剣に考えることはとても価値あること。
必要に迫られているから、創意工夫も生まれやすくなる。
だから、苦手・欠点は決して悪いことばかりじゃない。
その苦手を、欠点を、
受け入れ、理解して、何かに変えていければ、
きっと武器になる。
私はそう思って、毎日生きてます。
特に、プレゼン資料や提案書。
パワーポイントなんかを使って、図や絵を交えながら、
物事を分かりやすく伝える資料が得意。
これにはまずまず、自信があります。
設計書や仕様書も比較的得意ですね。
これらも、分かりやすさが肝心ですからね。
良い資料のポイントはとにかく「わかりやすさ」。
その資料だけポンと渡された時に、
何を言いたいかがすぐ伝わるか。
どこがポイントなのか瞬時に分かるか。
構成や見た目が、見やすく読みやすく整理されているか。
このあたりを押さえていると、
何の予備知識もない人にも、短い時間で物事がズバッと伝わる。
そういう資料が、私が思う良い資料。
実際、会社で仕事をしていても、
資料で困ったことがあるとよく声がかかる。
それなりに自負があるので認めてもらえるのは勿論嬉しいし、
そのたびに「やっぱりビーバーさん流石ですね!」
とか言っておだててもらえるので悪い気はしない。笑
うちの会社は資料が苦手な人が多いので、
私のような人は余計に重宝される。
そんな私のこの能力、
自然に身に着いたわけでは決してなく、
とある欠点のおかげで身に付いたものである。
それが、「記憶力の欠如」と「理解スピードの遅さ」。
私は昔から記憶力が弱小で、暗記科目も大の苦手だった。
大人になってもそれは変わらず、
仕事や生活をする上で大事なことでも、よく忘れてしまう。
「理解スピードの遅さ」に関しては、
例えば、映画のストーリー展開に着いていけない。
人との会話に着いていけない。
会議の内容が分からない。
セミナーに参加しても話のペースに着いていけない。
(技術職なので、たまにセミナーに出たりする。)
当然ながら、これらの欠点にはメリットなどなく、
仕事に支障も出るし、とにかく困る。
そこで私がどうしているかというと、
後で誰かに質問しておさらいし、
「話を理解しやすいように整理してまとめ直し」て、
「あとですぐに思い出せるように書き残しておく」のです。
これが、私の資料作りの原点であり、
欠点を補うために発達した能力。
この「あとですぐに分かるように」というのが最大のポイント。
皆さん経験あると思うが、
記憶や理解が新しいうちは、結構雑なメモでも記憶を引き出せる。
でも、記憶が薄れてきたときってそういうメモが役に立たなくて、
「このメモ何だっけ。(内容が思い出せない)」
となったりする。
この「雑なメモ」の何がいけないかというと、
内容を端折りすぎているんですね。
例えば「○○書の△△欄、◇◇書」と書かれただけのメモ。
後で見ると、「△△欄」をどうするのか分からない。
記入忘れがちだから気を付けて、なのか、
その欄に書く内容にはひと工夫必要だから注意、なのか。
だいたい「○○書の△△欄」って何だ。
それって重要なんだっけ?
あと、「◇◇書」って何?
こういう疑問を後で生まないように、
私はなるべく、理解したことを端折らずに、
整理して書きとめておく。
①○○書の△△欄は、・・・・・・っていう計算が必要だから注意。
②(計算方法を簡単に図解)
③ただ、こんな計算しなくても、◇◇書のココから簡単に算出できる。
④(算出方法を簡単に図示)
こんな感じの内容を、
今では短時間でパパッと書き残せるようになった。
だって必要だからさ、私が仕事をする上で。
あと、この話は「理解スピード」の話にもつながっていて、
話の展開が早い人というのは
(私の目から見たら早い人だらけなんだけど)
上記の例でいう所の①~③を高速ですっとばして、
いきなり④だけ語っているような印象だったりする。
私からすると、
「何で急にそんな話になったの!?なになに、何が起きているの!?」
(パニックで以降の話が入って来ない)
みたいな感じ。
なので、あとで質問をして①~③の部分が分かると、
ようやく話を理解できる。
せっかく理解できたので、①~③の部分もきちんとメモに残す。
こんな具合である。
こうやって取ったメモを見ると、よく
「丁寧なメモだねー!すごいけど、書くの時間かかりそう~」
などと言われるが、もう慣れたもんですよ。
もう一度言うけど、私にとっては必要な能力だから、
人より発達してるの。得意なのよ、もはや。
でね。
実はこの、①~④ を段階を追って、
見やすく、わかりやすく書き残すことこそが、
良い資料の書き方、そのものなんですね。
だから、私は資料が得意になったのです。
苦手や欠点って、よく「克服」って言葉と共に語られるけど、
すべてが克服できるわけではないと思う。
でも、別の手段で補うことができたりする。
その結果、
その「別の手段」が人より得意になって、
結果的にこうやって、長所になったりするんだよね。
だから、苦手や欠点は
必ずしも「克服」しなくてもいい。
でも、その代りにできることは何だろうか、
それを真剣に考えることはとても価値あること。
必要に迫られているから、創意工夫も生まれやすくなる。
だから、苦手・欠点は決して悪いことばかりじゃない。
その苦手を、欠点を、
受け入れ、理解して、何かに変えていければ、
きっと武器になる。
私はそう思って、毎日生きてます。
タグ:仕事
2018-08-28 00:02
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